希実|Kimi
西尾 琉璃|Ruri Nishio
『翠雨にあらわれて』
希実「私について」
脚本 若杉栞南
2001年6月7日。東京の中では比較的緑の多い街で、私は生まれた。
両親に愛されて育った15年。私は中学3年生だった。
兄と走り回って育ったが故に色気なんて程遠い大人になるんだろうと思っていた。
そんな冬のことだった。
高校受験を終えた、12月。あいつが、地方の高校に行くという。
何歳からだろう、私とあいつは、走り回っては怒られる“やかましい2人”になっていた。
兄とあいつと私。お決まりのメンバーというのだろうか。でもそう、ずっと隣にいた。
そんな彼には、夢があった。「俺、サッカー選手になるから」そう言ってのけたあの瞬間、あの表情。今でもそれは忘れない。
「俺、サッカー選手になるから。強くなって、帰ってくるから」
初恋はいつですか?そう聞かれたら、私の目にはあの瞬間の彼が浮かぶ。
15歳、私は初めて心臓の裏のむず痒さを知った。
あいつがこの街を離れるまで、暗黙の了解のように結ばれたその手の温もりは、忘れたくないものだと日々思う。
この手ひらに、今の私に、あの時の温もりはまだあるのだろうか。
そんなことを思いながら、私はそっと自分の手を、握りしめる。
高校1年生。人生における反抗期の最高潮だった時期。
青々とした青春を夢見た私に兄は言った。「お前に彼氏ができるはずない」。
その言葉に反発するように、私は彼氏を作った。
「希実ちゃん、好きな人、いる?」その言葉から始まった告白を聞きながら、私は兄が悔しがる顔を想像した。
彼は隣のクラスの天文部だった。「天文部」という響きに万点の星空を想像した私は、彼と付き合った。ロマンチックだと思ったのだ。…思っただけだった。
ごめんね、と思いながら「別れよう」と言った。
思い悩んだ末の言葉だったのに、彼はあっさり承諾し、
2ヶ月後には新しい女とゲームセンターに入っていくのを私は目撃した。
別に、悲しくなんてなかった。別に…。
臆病になったわけじゃない。
でもなぜか、ピンとくる人と出会えず、踏み出せず、時は過ぎた。
それなりの大学に入って、充実するであろう日々にワクワクしていた18歳。
オトナの香りが漂いはじめた居酒屋で事は起きた。
出会った、そう思った。
斜め前に座る人。吸い込まれるような黒い瞳には確かに私が映っていたと思う。
願望なんかじゃない、確かに映っていたはずなんだ。
大学4年生だった彼。何もかもが大人びて見えた。3歳上の兄が、霞んで見えた。
彼はいろんなことを教えてくれた。私は、あの人との何もかもが初めてだった。
でも、あの人に“初めて”はなかった。
それはあの人が唱えた運命論でも、そう。
「運命の人は二人いて、一人目は別れの辛さを教えてくれる。だから、俺が一人目だったってことだよ」
1年半付き合った記念日の日。深夜の彼の部屋。別れ際に、そう言った。
あのとき飲んだ深夜のコーヒーの香りを私は忘れない。
「これから愛を教えてくれる人に出会えるから、お前は大丈夫だよ」
何言ってんだって思った。でも、何も言えなかった。何も返せなかった。
だってあの人は確かに言った。「一人目は別れの辛さを教えてくれる」、その通りだった。
あの人にとっての1人目は、誰だったんだろう。
お別れを告げた後に「終電ないから泊まっていきな」なんて言ってくるそんな優しさが、
ただの凶器であることにあの人は気づいていないんだろう。
教えてあげたら、私は何かの初めてになれたのかな。
…やっぱり私は、あの人の“初めて”にはなれないままだった。
私の運命の人探しが始まった。
これから傷つく者たちよ。恨むならあの先輩を恨みたまえ。
運命論を植え付けた、あの人を。
付き合ってみる?で付き合ったのは、先輩もいたサークルの同期。
あの人との何もかもを知っている彼は、私の傷を癒すように隣に座る。
「俺、運命の人かもよ〜」なんておちょくってくるけど、
それがあの時の私には必要だった。
でも、きっと違う。
たそがれ時の河川敷。
ロマンチックな空間で彼は、昨日見た好きな女優のYouTubeの話をした。
愛を教えてくれる人…これが、ここにあるのが愛なのか?
違う。あの人の言う愛がこれなら、愛なんてクソ喰らえ。
私が、違うかなと思ったのは、きっと彼も感じていたことだったんだと思う。
最近、ゼミにいるあの子の話ばかりする。心移りしたんだろう。
でも、一番悲しいのは…私の心が傷んでないこと。
「別れよっか」の裏には運命の人じゃなかった、が潜んでいた。
私の運命の人は、どういう人なんだろう。
史実?一途?穏やか?
そんなことを考えていた大学3年の夏。
私と彼はバイト先の塾に笹の葉を括り付けていた。
短冊を準備しながら思う。運命の人が見つかりますように。
「大学合格」とか、「全国模試100番以内入れますように」とか。
そんな願いで溢れるであろうこの笹に、場違いな願いを括り付けたら……ダメだよね。
一枚だけ浮いている短冊を想像する。
「織姫と彦星ってさ、幸せだと思う?」
そんな言葉が、私の妄想を掻き消す。
真剣な顔で「どう思う?」なんて聞いてくる。
「織姫と彦星。年1しか会えなくて、幸せなのかな?」
そんな発言に思わず笑みが溢れた。馬鹿にしたわけじゃない。
…いたじゃん、近くに。
運命の人があらわれた、そう思った。
そんな彼の唯一の欠点は、私をキミと呼ぶ。
私は卵じゃないんだけどな。(笑)